イ ン ト ロ ダ ク シ ョ ン

 

伝説のイラン映画、日本初公開。

 

★『CUT』で西島秀俊の肉体を極限まで追いつめ、飽くなき映画への情熱をスクリーンに叩きつけたアミール・ナデリ監督。本作はそのナデリ監督の代表作で、1985年のナント三大陸映画祭でグランプリを受賞し、世界中にイラン映画を紹介した記念碑的な作品である。このたび製作から27年、伝説のイラン映画の金字塔がついに日本劇場公開となった。

 

船、飛行機、映画、走ること…。

アミル11歳、好きなものがあれば、独りでも生きていける。 

 

★舞台は70年代初頭のイラン。ペルシャ湾沿岸の小さな港町。少年アミルは浜辺に打ち捨てられた廃船にたった一人で暮らしている。ゴミ捨て場から空きビンを拾ったり、外国船の船員が海に捨てたビンを拾い集めたり、水兵の靴磨きや水売りなどをして何とか生計を立てている。

★親もなく苛酷な環境にありながらも、アミルはまるでハックルベリィ・フィンのように一人の生活を楽しんでいる。彼には好きなものがたくさんあるからだ。大きな白い船、どこか遠くに連れて行ってくれる飛行機、外国の綺麗な写真、チャップリン、友だち…そして走ること。アミルの仲間たちも皆、同じように天涯孤独の身の上だ。彼らはありあまるエネルギーを試すように全身で走る。誰も暗い顔はしていない。

★あるとき、競走に負けてもなお走り続けるアミルに友だちはいぶかる。アミルは「自分の力を確かめたかったんだ」と答えるのだった。

★ある日、アミルは自分が学校行っていていい年齢なのに、読み書きができないことに気づき愕然とする。文字を知ることは世界を知ること。アミルは取り憑かれたように字を覚え始める。

★そしてついに来た「火の競走」の日。少年たちは天然ガスの炎が轟々と逆巻くなかに置かれた氷の塊を求めて熾烈な競走をくりひろげる。

 

生きる輝きがほとばしる! 

 

★本作のアミル少年には、ナデリ監督本人の体験が色濃く反映されている。ナデリが生まれる前に父が他界、6歳の時に母を失う。兄とともに叔母夫婦に引き取られ、正式な教育は12歳までしか受けていない。このころナデリ少年を支えたものこそが「映画」であり、このころから「映画を作る」と決めていたらしい。そして12歳で単身テヘランへ旅立ち、映画への強い憧れを胸に大都会に出てきたナデリは、ひたすら目標に向かってつき進む。映画製作会社のティーボーイから始め、制作部の雑用係、そしてスチールカメラマンを経て、1970年「グッバイ、マイフレンド」でいきなり監督デビューし、一躍脚光を浴びる。その後、本作品でイスラム革命後初めてイラン映画が映画祭で受賞。アメリカで映画を撮るという夢を『マンハッタン・バイ・ナンバーズ』で実現する。

★そして、常から日本映画への愛を公言していたナデリは2011公開の『CUT』で、ついに日本での撮影を敢行、念願を果たした。

★そんなナデリのまっすぐで諦めない姿はそのまま、アミルに重なる。

★『駆ける少年』はそのナデリ監督が自身の作品の中で一番好きだ、というもの。

★圧倒的な映像の美しさ。まっすぐな少年のまなざし。孤独でありながら、すっくと自らの足で立っているたくましさ。炎の中を、氷塊を求めて少年たちが砂漠を必死に走るクライマックス・シーンは“生きることの輝き”がほとばしって圧倒されるばかりだ。

 

イラン映画を世界へと知らしめた傑作。 

 

★本作はイスラム革命(1979年)後、初めて海外映画祭で受賞したイラン映画である。1985ナント三大陸映画祭グランプリを受賞し、いきなりグランプリを受賞し、世界の映画人をあっと驚かせ、その後は名だたる国際映画祭で上映されている。そして1990年にはナント三大陸映画祭で大規模な「イラン映画特集」が組まれることになるのである。

★日本においても初めて上映されたイラン映画は本作であった。1987年の東京国際映画祭に出品された本作を、当時、映写技師であった篠崎誠監督は映写し、その映像に圧倒されたという。

1996年に東京を皮切りに全国巡回上映された「’96・イラン映画祭」。新旧32本のなかでも革命前の名作『牛』、マフマルバフ監督の『サイクリスト』とともに、目玉作品となったのが『駆ける少年』だった。

★また『駆ける少年』は、イランの映画学校では必ず教材として学生が学ぶべき定番の映画であり、イランを離れて久しいにも関わらず、ナデリ監督は今でもイランの映画評論家が選ぶ優れた映画監督ベストテンに必ずランクインし、イラン映画を語る上でキアロスタミと並び称される巨匠である。

★『CUT』公開時も毎日のように上映劇場に通い、観客と握手をし、サインをしたナデリ監督。その情熱は変わらず、今回もオーディトリウム渋谷にはナデリ監督の指定席ができるだろう。